「障害者が恋愛感情を持つことについて」
県福祉教育・ボランティア学習推進員安藤謙一
1.安藤氏のプロフィール
自分の障害と今までの生活について
脳性小児マヒアテトウゼ型(首が安定しなく、左手しかきかず字も書けない、話すことも困難)→9ヶ月の早産のため未熟児と黄疸症状が強かったため
- 入学した1971年当時はまだ障害児は完全義務教育化されていないため、重度障害児は就学猶予とされて義務教育から除外されていた。
- 入学した養護学校の同期生の中でも、自分は最重度の障害であり、授業中にノートに絵を描いている落ちこぼれの悪い生徒だった。
9年前の福祉施設のバザーの女性ボランティアに恋愛感情を抱き、その女性を描くようになったのがきっかけ。
2.先天性重度障害者が恋愛感情を持つことの社会的現状
- 本福祉教育研修の発表で障害者の恋愛をテーマに取り上げるねらい(安藤氏自身の発表。
福祉教育の学習目標の一つに「障害理解」(ノーマライゼーション、バリアフリーについて考える)がある。ただ、障害者にとってタブー視されている“恋愛・結婚”について考え合うことなくして、真の障害理解にはつながらないのではないか。なぜなら、“恋愛”とは、障害のあるなしにかかわらず人間として必然的におこる心のはたらきだからである。そして、生活をより豊かにすることができるのが恋愛だからである。
(1)社会的な良い点
- 自らの障害を再認識できる
- 社会的な位置、地域との関わりあい方を学び、精神的な自立心を養う絶好の機会となる
- 恋愛がその後の人生を大きく飛躍させる力にもなりうる
(2)安藤氏自身にとって良い点
- “生きててよかった”という実感がもてる
- 行動範囲が広がる
- 恋する女性の絵を描くことがきっかけで、想像以上に自分を社会にアピールできた。
- 恋愛感情を持つにあたっての問題点(障害者自身について)
- 社会的な問題
- 好意を寄せられたボランティアから苦情が多い→障害者が相手の住所や電話番号を聞き出し、毎日場所や時間を考慮せず電話をかけまくったり、人によっては家や学校・職場へ何度でも押しかけたりまるでストーカーのような行動をする場合がある。
・好意を寄せられたボランティアが障害者たからという同情心から、優しく接し、なかなか本心を伝える事はしない。→障害者はボランティアから 好意を寄せられていると誤解する。それに付随して周囲の人々は、ボランティアが好意があるような噂を流してしまう。
・障害者は好意を寄せたボランティアへ本心を伝えて意思を確認しようとする。→ボランティアは障害者に「心に傷をつけたくない」という思いから 曖昧な事を発言をしたり行動をする。障害者は社会的な状況や問題点を認識しているため、ボランティアへ発言した事の責任をとろうとする。 →周囲の人々や、ボランティアは、障害者が発言した事を軽く受け取り事実を伝えず長期間、放置してしまう。
- 障害者はボランティアへ再度、好意が有るか無いかを確認をする。ボランティアは重い口を開いて「好意が無い」事を告げる。それに付随して周囲の人々は、ボランティアではなく障害者へ全責任を押しつけてしまい、障害者が結局、心に傷が残ってしまう事がある。
- 重度障害者は常に日常生活に介助を必要とするので介助者の意見に従うしかなく、自己決定力が乏しい。
- 恋愛についての相談やサポートも受け難いため、恋愛感情をどう表現するか、どうコミュニケーションをとりお付き合いしていくかが分からない
- 結局相手が自分のところに来てくれるのを待つしかない。そして、その人がついにこないことがわかると、そくざに恋愛の対象を新しいボランティアに変えてしまう人が多い。
- 障害者自身が自分のことを最低な人間だとあきらめて、結婚してはいけないと思っている人が一部いる。
なぜこのような問題がおこるのか?
(2)安藤氏自身の問題
- 自分自身、他の障害者の問題行動を指摘しながら、自分の思い込みで相手の女性のことを考えず行動してしまった経験がある。これは、障害者だからという前に、人間として自分が自己中心的だからだと思う。この反省から、今後は様々な人との人間関係の中でもまれ、冷静かつ客観的に物事を認識できる目を養いたい。
(今後恋愛して結婚に至った場合)
- 経済的に家庭を養っていけるか(現在の月収入:国民年金障害基礎年金
83.775円+重度心身障害者在宅手当て5.000円=合計88.775円のみ)
- 父親になった場合、自分は親として何を子どもに与えてあげられるか。
- 地域の輪にとけこんでいけるか(人間は誰でも多くの人間により支えられて生きている。その最小単位が家族である。またその家族を支えるのが地域である。)
- 居住する地域にどれだけサポートしてくれる人を得られるかで、自分の家族の生活が良くなるか悲惨なものになるかが決まってしまう(自分の場合はけいついの変形による二次的な障害があり、すでに手足のしびれなど兆候が現れている。50代には歩行困難になる可能性が高く、必然的に介助の量が増える)
- 一般的なハンディキャップ
- 障害のため、感情を言葉にして伝えることができない→重度障害者の場合、重複障害だと思われ子ども扱いされ、性や結婚の話をすると真剣にとられないで、ちゃかしたり冷やかされたりする。→重度障害者の性の問題をタブー視する
- 福祉施設を利用している先天性重度障害者の男性と健常者の女性との結婚成功率は、全国的に3%→女性側の家族の反対と経済的な問題、介助の問題
- 全ての先天性重度障害者は遺伝病だとし、結婚をタブー視する偏見
- 安藤氏自身のハンディキャップ
- 言語障害があるため、コミュニケーションをとるのに言葉の壁がある→特に初対面の人には私の言葉があまり理解されないので、たとえ初対面の女性に人目ぼれをしても、私の価値観や意見が理解されない。また表面上みにくい姿をしているので、知的障害者と誤認されてしまって、まったく子ども扱いされてしまう。
- 元看護婦である私の母が経済的自立ができない私には「性」の問題をタブー視する。
「おまえは人のやっかいになるのだから結婚なんか考えるでのない。それより一人で生きて行くことを考えて、将来は入所施設で暮せばいい」という。→思春期の頃から母にはなるべくこのような話題にふれないように仕向けられてきた。
- 地域性の問題→特に私が在住する農村部では、経済的な自立が達成できない先天性重度障害者が結婚すること以前に、障害者が存在している事ですら、いまだ隠す家もあるありさま。
この発表を通じて、受講者に考えてほしいこと。
「本当のバリアフリー・ノーマライゼーション社会って何でしょうか?」
以上お話したように、障害者が恋愛感情を持つことについては、社会全体にとって、また障害者自身にとって良い点も問題点も様々あります。ただ、障害者もみなさんと同じように、恋愛をする権利・そして自己責任があるのです。この問題に対しての社会的差別や、障害者自身が克服しなくてはいけないことを解決するには、この恋愛問題を特別視するのではなく、みんながともに生活していける社会を築いていけば、必然的にわれわれの生活問題の一部として解決されるのではないでしょうか。
ただ、今回の研修では、障害問題の根底には、この問題が横たわっていることを、福祉教育を地域で進めていくみなさんには認識していただきたかったので、あえて取り上げました。
ともに生きる社会作りのためには、まず福祉教育が必要だと思います。住民の理解促進はもとより、障害者自身もみなさんと一緒に学習する機会が欠如しているのが現実です。障害者も住民も一緒に勉強し、お互い理解しあえる場が、まずこのふくしのまちづくりへの第一歩だと考えます。
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